
鈴木宗男さん非公式サイト
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東京都港区南青山の、表参道に近い住宅街にある。敷地は30坪(約100平方メートル)。
地上3階建ての4LDKで地下室(物置き)付き。
1階は、1台分の駐車場スペースと記者懇談用だった居間。
2階はリビング兼ダイニング。3階に宗男と長男、二男の部屋などがある。
鈴木宗男さんは本当は優しい人かも・・・。メディアが勝手に悪のイメージを作っている。
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逮捕から約2か月。南青山の宗男宅周辺は、ひっそりと静まり返っている。
6月19日の逮捕の日は、早朝から100人以上の報道陣が詰めかけたが、
今では足を止める通行人もいない。レンガ造りの外壁が真新しい3階建て。
妻・典子(53)と息子2人が“留守”を守っている。
「狭いでしょう」秘書を務める二男(26)が言った。
確かに、閣僚まで務めた国会議員が住む、
自宅にしては質素だ。縦に細長く「ウナギの寝床」の造り。
玄関前には長男(27)の国産ワゴン車が止めてあった。
「高級外車を乗り回し、都内には豪邸が3つもある派手な生活」と
一時はウワサされていただけに、少し拍子抜けした。
玄関を入って正面には、昨年末まで行われていた記者懇談用の部屋がひとつ。
2〜3階が居住スペースになっている。これまで2階以上に記者が入ったことはないという。
激動の永田町生活を物語るように、家の中はガランとしていた。
2階はリビング兼ダイニングキッチンだが、置いてあるのはテレビ、
電話、テーブルなど生活必需品だけ。
個性をにおわせる物がほとんどない中で、存在感を際立たせていたのは、
4人掛けのダイニングテーブルの頭上にある、白木の神棚だ。
千羽鶴が垂れ下がっている。北米に留学中の長女(16)の同級生の親たちが、
2月の国会参考人招致を前に、宗男を励ますために送ってきたものだという。
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手紙には「1人じゃないよ」と書かれている
宗男は1日3回、どんなことがあっても神棚に手を合わせた。
朝起きて出勤する直前と、帰宅してすぐ、そして寝る前だ。
国会近くのビル事務所にも神棚があり、入ったときと出るときに必ず柏手を打った。
信仰心からではない。
19歳のときに亡くなった父・協のために合掌するのだという。
妻・典子が、あるエピソードを話してくれた。
結婚が決まり、宗男は典子の実家(広島)へあいさつに行くことになった。
その日は日曜日だったが、宗男はいつものように中川一郎代議士の国会事務所に詰めていた。
典子も同じ事務所の秘書仲間だったから、一緒に東京駅へ向かえばよかった。
しかし宗男は「父さんに水と線香を上げてからだ」と言って、板橋のアパートにひとり戻った。
そして挙式の前日、典子は初めて宗男のアパートに入った。
新居への引っ越し準備で、荷物を片付けるためだ。
中川の秘書を始めてから1日も休んだことがない宗男は、
部屋の天袋に、7年前に引っ越してきたときの荷物を押し込んだままにしていた。
掃除する暇もないのか、部屋の隅にはほこりがたまっていた。雑然とした中で、
ふと目についたのが、机の上にある彼自作の神棚だった。
協の遺影と、換えたばかりの新鮮な水が供えてあった。
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部屋の整理をしているうちに典子は、宗男の小遣い帳と日記帳を見つけた。
こっそりと盗み見た。小遣い帳には5円、10円単位までぎっしりと数字が記入されていた。
「豪快な仕事っぷりの割にはきちょうめんな人だな」と思った。
日記帳をめくると、大学2年時に「妹が修学旅行で上京してきた」件が書かれてあった。
乱暴な字で「見送りのときに、東京土産をと思い、ブラウスを買って持たせてやった」―。
宗男は当時、和田アキ子も通う自宅近くの喫茶店でウエーターのアルバイトをやっていた。
妹の土産代を稼ぐため、このほかにラーメンの袋詰めのアルバイトを、
深夜に2週間続けたことも日記に記されていた。
職場結婚とはいえ、多忙な宗男と、典子は一度もデートをしたことがなかった。
結婚は決めたものの、宗男の私生活から人間性を深く知ることはできなかった。
しかしアパートを出るとき、不安は消えていた。
日記を盗み見したことを、典子は後に告白した。
宗男は一言、「そっか」と答えた。
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秘書から衆院議員になり、生活に幾分余裕ができてきた。
それでも朝6時半には起床し、帰宅は深夜になる生活を繰り返していた。
深夜の帰宅後も、延々と新聞を読む。
6紙を購読し、寝室、風呂場、トイレ…あらゆるところに持ち歩いて妻を困らせた。
家事は一切しない。が、一度だけ妻が夫に頼んだことがある。
25年ほど前、近所に買い物に行くとき、幼い長男の面倒を見てほしいと言った。
快く引き受けた宗男に「それじゃ頼むね」と出かけ際に振り返ると、
宗男は新聞を持ったまま壁に寄りかかっていびきをかいていた。
以来、家事・育児はすべて妻ひとりでするようになった。
仕事一筋で家庭を顧みない夫に、不満がないわけではない。
「悪いという気持ちは、夫自身が一番強く思っているんです。
あの人はマメでしょ。
しょっちゅう電話や手紙をよこして
『母さんには苦労をかけて悪いな』と…。何も言えなくなります」
公務を終えた深夜、帰宅中の車の中からでも「母さん、買い物はあるか」
「暑いからアイスでも買ってくるか」などと携帯電話で掛けてくる。
妻は決まって「大丈夫よ」と返す。同じ問答を何百回繰り返しただろうか。
「深夜にスーパーなんか開いているわけないのに…。
でも『大根買ってきて』って言ったら、
あの人は夜中だろうと何時間かかろうと探し回って買ってくるでしょうね」
引っ越しには、もうひとつの理由があった。
でき愛する長女の“夢”をかなえることだ。当時、宗男は東京で単身赴任生活。
妻が住んでいたのは選挙区の北海道釧路。長男と二男は中学から千葉の私立校に通っていた。
長女(16)は小学1年のとき「家族5人が一緒に住むのが夢」と父にあてて手紙を書いた。
宗男は心を打たれた。「これまでは自分の我がままを通してきた。これからは家のことを考えないと…」
一心不乱に仕事に打ち込んできた男が50歳を超え、初めて歩みを止めて振り返った。
新しい住まいに入居する日、宗男はとてもうれしそうだった。
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鈴木邸の3階東側。観葉植物が置かれたベランダ付きの部屋が、宗男の自室だ。
10畳ほどの広さで、中央にはベッドが置かれ、隅に木目調のタンスが据えられている。
使い古しのストッキングで作られた、はたきが壁に立て掛けてあった。
小さな仕事机もある。本が並べられていたが「広辞苑」と、長女の学習参考書が数冊あるのみ。
クッキーの空き箱を利用した筆入れには、小熊をかたどった「宗男シール」が張られている。
宗男がこの机で仕事をしているところを家族は見たことがない。
真夜中に帰ってきても、風呂に入るとすぐ寝てしまう。
唯一の趣味道具が、部屋の隅に置かれていた。通信販売で買った空中歩行式の運動器具だ。
ハンドルとペダルがついていて、歩行すると体に負荷がかかるようになっている。
4年前の引っ越し時に購入したもので、近所のジムに行く暇がないときに使用している。
宗男のマラソン好きはよく知られている。大学入学時に上京してから打ち込んだ。
40歳を過ぎてからはフルマラソンに毎年出場。
ベストタイムは1994年に沖縄で行われた「NAHAマラソン」での3時間44分40秒。
50キロを走るサロマ・マラソンで5時間22分59秒のタイムを出したこともある。
疑惑報道が過熱した今年4月以降は、滞在するホテルの非常階段を走って上り下りした。
宗男は、世間一般に親しまれている趣味をほとんど知らない。
ゴルフも音楽鑑賞もギャンブルも。ただ、走るのみだ。
汗臭いイメージの強い宗男は、実際に汗をかくことが大好きのようだ。二男は言う。
「マラソンは父さんの人生を表していると思います。わき目もふらずにひたすら走り続ける。
止まったときは、倒れるときなんです」
宗男はクーラーが大嫌いだ。家ではもちろん、移動中の車の中でも冷房はつけない。
運転席や助手席の秘書が汗だくで参っていても、宗男だけは涼しい顔をしている。
さらに、真夏にもかかわらず、カンカンに煮えたぎったお茶を好み、
ごくごく飲んでは家族をあっけにとらせた。
「冷えたものは体に悪い」と信じ切っているのだという。
「人一倍汗をかくこと」これが政治家・宗男のモットー。
公私ともに汗まみれの人生だ。
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3月の国会証人喚問のとき、宗男は懐に、長女からの手紙を忍ばせていた。
離党表明のとき「家族のきずなを知っただけでもよかった」と涙ながらに語ったが、
窮地の父を支えたのは、この長女だった。
証人喚問を数日後に控え、離党もやむなしの状況に追い込まれていた宗男は、
ある夜、寝つけずに3階の自室から2階の洗面所に降りてきた。
顔面はそう白。顔を洗う背中に、大量の汗が流れていた。
「このままでは危ない」―。妻は長女に電話で伝え、
長女は友人に借りたパソコンで電子メールを自宅に送った。
喚問の30分前、妻からのファクスで、メールはホテルの宗男に届いた。
「お父さんは決して一人じゃないよ。いつもそばに私がいます。
鈴木家のパワーで戦いましょう」と励ます約1500字の文面を、妻は宗男に渡そうかどうか迷った。
証言席に赴く宗男が感情的になるのでは、と心配したからだ。
案の定、宗男はメールを受け取ると、大粒の涙を流し、声を押し殺すようにして泣いた。
そして、胸の内ポケットにしまい込み、国会へ向かった。
娘からの手紙が、どこまで宗男の心に影響したかは分からない。
しかし、社民党の辻元清美(当時衆院議員)から「疑惑の総合商社」とまで非難されると
「ウソつきという言葉は撤回していただきたい!」と声を荒らげるシーンが見られた。
支えたのは娘だけではなかった。19年前、やはり苦境に立たされた宗男を救ったのは、
当時小学生だった息子たちだ。秘書として仕えた中川一郎代議士が自殺した直後「恩師・中川を殺した」と中傷され、
政治活動の断念を覚悟したとき、長男と二男が涙ながらに訴えた。
「何が何でも選挙に出て欲しい」その日、宗男は出馬を表明した。
この夏、長女は帰国の途につく。だが、最愛の父は、自宅にいない。
息子「政治しか知らない人生」それでも妻「結婚してよかった」
宗男の逮捕後、妻は夫のために初めてプライベート用の服を買った。
下着、Tシャツ、パンツ…。拘置されている宗男に差し入れするためだ。
しかし、妻は「着方を知っているのかしら」と心配顔だ。
宗男は、ここ20年ほどカジュアルな服を着たことがない。
平日、公務に出る時はもちろんスーツ。家にいるときはステテコ姿で、落ち着きなくうろうろしていた。
近所のスポーツジムに行くときは、もらい物のジャージーを着て行った。
だが、足元だけは革靴だったりして「みっともないから、そんな格好はやめて」と妻に度々注意された。
数年前、議員仲間からゴルフに誘われたことがあった。
宗男はゴルフはしないが、付き合いで参加した。マスコミの人も入っていて週刊誌に掲載された。
家族は跳び上がって驚いた。夫だけパジャマ姿だった。
「恥ずかしいじゃない」妻がなじると「何言ってんだ。あれはスポーツウエアだ」と頑として言い張った。
二男(26)は言う。
「そういうところを見ていると、かわいそうになる時がある。
政治しか知らない人生なんですね。学生のころに、少しでも遊んでいればよかった」
宗男は北海道から上京後、19歳で中川一郎代議士の秘書になった。
学生の間は議員会館の事務所に詰め襟姿で通った。
卒業後も、そのまま秘書を続けた。秘書時代は一年365日、中川と行動を共にした。
「遊ぶ」ことを全く知らない青春時代だった。
「何であのお父さんと結婚したの? 顔もスタイルも悪いし…」長女(16)はよく母親に尋ねる。
「人間的なところだけかな」今でこそ、そう言えるものの、妻は当時「何も分からずに結婚した」という。
お互い秘書同士で、中川事務所には若い秘書が宗男と彼女しかいなかった。
デートはおろか、忙しくて昼食すら2人で取ったことはなかった。
ひとりで議員会館地下2階の食堂で食べていると、宗男はよく「何やってんだー」と、仕事に戻るよう催促しにきた。
中川は「彼女と鈴木君を一緒にするべぇ」と決めつけていた。
疑うこともなかった。「この人しかいなかった」
なぜこんな夫と結婚したのか、妻は自問自答することがある。
だが、今では「この人と結婚してよかった」と胸を張れる。
【某雑誌から記事抜粋】
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