tomocci.com特集記事
大泊ビーチ駐車場トラブル&不法占用問題 
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芸能・裏情報ニュース
<tomocci掲示板・東京新報>

東京新報 横浜市役所港記者室
 
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沖縄県うるま市の伊計島にある大泊ビーチでうるま市の公衆トイレを
業者(上原和弘 姓名判断)が不法占有している!


大泊ビーチ駐車場トラブル 伊計島北側にある大泊ビーチは砂浜が600mもあるビーチで透明度が抜群!
リゾート化していないのでのんびり楽しめると思います

ビーチ入口の手前左側の駐車場(地元島民が運営)
1日¥500(1台)を使うと
余計なお金(奥の駐車場は一人いくらで課金)が取られません。


ビーチ使用料、及び入場料不当金銭強制請求 侵害利得。
ビーチ業者が発言してる、公衆トイレの管理、
道の整備、奥にある浜へとつづく道は 崖にはなっておりません。
すべて いったもん勝ち、虚言、詐欺行為です。

うるま市伊計大泊ビーチ業者(坂道奥 黄色い看板目印、誘導、広告)固有地ビーチ管理者ではありません。
あくまで業者私有地内での「開設者である」
業者施設内で使用するシャワー料金、及び駐車料金のみ。
浜辺までついてきて、金銭の不当請求、施設管理料を支払う必要はありません。

ビーチは国有の土地です。
誰もが自由にはいれます。
伊計大泊公衆便所は うるま市の土地であり施設です。
トイレ水道代を支払っているという業者の主張は「不動産侵奪罪ふどうさんしんだつざい-」
不法占拠、刑法で犯罪です。(経済省 助言)

大泊ビーチ(黄色い看板業者)が施設内からビーチに入るように誘導します。
道の奥には砂辺へ降りれる道があります。
そこを 「崖があるので気をつけてください」と脅迫、危険心をあおり、施設内に誘導しょうとし-ます。
正しい知識をもって 対抗しましょう。
なお、大泊ビーチは地名であって 商標登録されておりません。
業者が整備したという民間の土地の上を歩いただけで 施設内使用料金請求は利害利得罪です。
看板にも事前に料金は書かれておりません。

※ビーチを使用、立ち入りするにあたって入場料、及び施設管理料は支払う必要はありま-せん。




2015年8月時の現地状況

 





【伊計島地元の方の証言】


問題のパーラー大泊施設前にある古くから「ウードゥマイグワァ(大泊川)」と名称のついている湧き水池、うがん場所(祈願場所)に立ち入り祈願すると地元の方でも、業者から施設管理料金を請求されると憤慨し、遺憾に思うとおっしゃっておりました。

また、ウードゥマイグワァ(大泊池)湧き池にお魚がいるらしいのですが それを取りに来た観光客に施設管理料金を不当請求、何故かと業者に聞くと、魚も自分達が飼っていると主張。
パーラー大泊は自分たちの施設だと主張しているにもかかわらず(法的根拠はない)草が生え、ゴミが散乱している ウードゥマイグァ(大泊池)を業者隣の民宿経営者が島の古くから恵みの湧き水場所の信仰心を大切に思い、掃除しているようです。

※伊計島の部落の方々、は昔、水道管は設備されていなく、ここウードゥマイグワァ(大泊湧き水)と、大泊ビーチ北側崖の石階段下にあるインヌグァー(犬が見つけたと言い伝えのある、犬の湧き水)、大泊ビーチ浜辺から奥、ウシヌグァ(牛が見つけた言い伝えのある湧き水)の各場所に感謝の信仰心があり、行事ごとに祈願をする風習が古くからある。
しかし、島外の業者がその信仰心を踏みにじり、利己の利益のみ考え、地元の方々から立ち入り施設管理料金を不当請求する。
傷害事件も数回、業者は起こしており、逆恨み、嫌がらせを怖がり、高齢者の地元の人は近寄れない、この問題に口を塞ぎ、信頼できる方にしか語らない状況にあります。



ビーチ使用料、及び入場料不当金銭強制請求 侵害利得。ビーチ業者が発言してるすべて 金銭目当てのいったもん勝ち、虚言、詐欺行為です。うるま市伊計大泊ビーチ業者(坂道奥 黄色い看板目印、誘導、広告)国有地ビーチ管理者ではありません。あくまで業者私有地内での「開設者である」業者施設内で使用するシャワー料金、及び駐車料金のみ。浜辺までついてきて、金銭の不当請求、施設管理料を支払う必要はありません。ビーチは国有の土地です。誰もが自由にはいれます。伊計大泊公衆便所はうるま市の土地であり施設です。トイレ水道代を支払っているという業者の主張は「不動産侵奪罪ふどうさんしんだつざい-」不法占拠、刑法で犯罪です。(内閣 経済省 助言)大泊ビーチ(黄色い看板業者)が施設内からビーチに入るように誘導します。公衆便所こ道の奥には砂辺へ降りれる道があります。そこを 「崖があるので気をつけてください」と脅迫、危険心をあおり、施設内に誘導しょうとし-ます。正しい知識をもって 対抗しましょう。なお、大泊ビーチは地名であって 商標登録されておりません。業者が整備したという民間の土地の上を歩いただけで 施設内使用料金請求は利害利得罪です。看板にも事前に料金は書かれておりません。※ビーチを使用、立ち入りするにあたって入場料、及び施設管理料は支払う必要はありま-せん。

Posted by 沖縄伊計島大泊ビーチ不法占用問題 on 2015年7月6日

沖縄伊計島大泊ビーチ不法占用問題

入口より奥の駐車場を利用するとこの動画のような
 酷い嫌がらせに遭う事がございます!

嫌がらせシーン動画再生(DL)

違法な放送シーン動画再生(DL)

伊計島住民と業者のトラブル動画youtube

大泊ビーチで地元自治会側が運営している駐車場から来た観光客にうるま市所有のトイレを不法占有している業者が国有地ビーチ管理者ではないのに「自分達の駐車場を利用していなから~~」と嫌がらせをしている証拠動画。この様な行為自体が違法。

Posted by 沖縄伊計島大泊ビーチ不法占用問題 on 2015年12月9日
大泊ビーチ
大泊(おおどまり)ビーチ

大泊ビーチは国有地です。無料で遊ぶ事が出来ます!

 住所 沖縄県うるま市与那城伊計
 アクセス 那覇空港から車で
高速利用時:那覇IC→沖縄北IC経由で約1時間10分
一般道のみ:国道330号線→国道329号線を利用して約1時間20分
最寄の沖縄北ICから約40分
 駐車場 あり 1日500円
 トイレ あり
 営業時間 遊泳期間:設定無し(5月下旬~10月上旬が最適)
 入場料金 なし
 定休日
 シュノーケル
 シャワー あり
 更衣室 あり
 ロッカー あり
 電話 098-977-8464
 HP 伊計ビーチ 駐車場管理
  うちなーんちゅ(沖縄人)が
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大泊ビーチでうるま市の公衆トイレを
業者が不法占有している!


  

 

公衆トイレを堂々と不法占有!しかも水道管の配管を勝手に変えて、自分達が水道料金を負担しているから
使用料を払え!と観光客に平然と請求している悪質極まりない不当な行為を繰り返してトラブルになっている。

  

沖縄県やうるま市などの行政機関が再三に渡り、行政指導をするも業者は改善する兆しもない・・・。

大泊ビーチ駐車場トラブル
http://www.date2.jp/spot/41934/


伊計島北側にある大泊ビーチは砂浜が600mもあるビーチで透明度が抜群!
リゾート化していないのでのんびり楽しめると思います。
ビーチ入口の手前左側の駐車場1日¥500(1台)を使うと余計なお金が取られません。


沖縄県うるま市の公式見解  沖縄県の公式見解









問題を放置している沖縄県庁とうるま市役所



うるま市商工観光課 が担当しています。

〒904-1192
うるま市石川石崎一丁目1番(市役所石川庁舎内)
電話:098-965-5634
FAX:098-965-5623




沖縄県土木建築部海岸防災課が沖縄県の担当部署です。

〒900-8570
沖縄県那覇市泉崎1-2-2
TEL:(098)866-2410
FAX:(098)860-3164
Mail: aa065300@pref.okinawa.lg.jp





沖縄県の公式見解

Q: 伊計島大泊ビーチの不法占用、並びに観光客への嫌がらせについて

回答: 土木建築部海岸防災課   平成23年7月22日

今回ご指摘のありました公衆用トイレについてですが、うるま市役所の所有物となっており、沖縄県としては行政指導が困難なため、管理所有者であるうるま市役所に、今回のご意見の情報提供を行い、トラブル等の対策についてお願いしたいと考えております。





沖縄県うるま市の公式見解


「伊計島大泊ビーチについて」 
平成18年5月22日

質問内容
 伊計島大泊ビーチ海浜地の入場料徴収についての疑義

市からの回答
 本件については、沖縄県の「海浜を自由に使用するための条例」に基づき、港湾行政の関係課の立場として回答いたしますので、ご理解下さるようお願いします。

 はじめに、当該ビーチ売店が立地している位置は個人の所有地となっておりますが、大泊ビーチの海浜地は、沖縄県条例「海浜を自由に使用できる条例」第2条の定めの「海浜」であり公共財産であります。

 それからビーチの営業関係についてですが、「大泊ビーチ」としての商標登録、公安委員会への「ビーチ開設届け出証」、業許可証「飲食店」等が掲示されていますが、海浜立ち入り利用者から対価を徴収する許可ではございません。

 本件については、事実関係確認のため、5月25日に現場での聞取り調査、当該ビーチ経営者からの聴取と指導を行うとともに、今後同様なことが起こらないよう沖縄県土木建築部海岸防災課(管理班)及び中部土木事務所(維持管理班)へ沖縄県条例 「海浜を自由に使用するための条例」の指導及び勧告、地域への周知徹底のための立看板等の設置や立ち入り指導の要請を行っていきたいと考えております。

某ビーチのアナウンスについて
平成20年6月24日

質問内容
 6年前から某ビーチが気に入って毎年熱帯魚を見に行っています。不愉快なのは奥の駐車場の人のアナウンスです。いつも手前の駐車場を利用しますが、手前に入ると奥から「入ってはだめ」みたいに手を振るし、ビーチに着くとアナウンスで何回も間違って入った人は奥の駐車場に入ってとうるさい。何回も何回も。ビーチの他の人も迷惑がっていました。何人も。沖縄の恥です。両者で解決して下さい。観光客には関係ないことです。



市からの回答
 ご指摘の当該ビーチに関することについて、同地を訪れる観光客から再三同様の苦情が寄せられているのは、市としても承知しております。手前側と奥側の駐車場経営者の間で以前からトラブルが絶えない地域であります。

 この問題は、過去の複雑な経緯等の中で、当事者間の利害関係も絡んでいます。又、ビーチ事業については、市の許認可等で運営しているものでも無いことから具体的な指導も行えず、対応に苦慮している現状であります。過去にも警察や港湾管理者である沖縄県にも相談した経緯がありますが、一向に改善されず現在に至っています。

 本来ですと、業者間で解決すべき問題であり、同地を訪れる観光客の皆様には、一切関係のない事項であります。

 いずれに致しましても、同地を訪れた観光客に不愉快な思いをさせるということは、うるま市や沖縄県のイメージを損なう行為であり、大変遺憾に思っております。

 この度の件につきましては、諸問題の改善に努めるよう先方に伝えます。なにとぞ、ご理解のほどよろしくお願い致します。




 某ビーチの駐車場について



質問内容
 伊計島にある某ビーチ入口の手前の駐車場に入ろうとしたところ、下の駐車場(兼食堂?)から、ホイッスルを吹きながら女性3名が走ってきて車の前に仁王立ちで、「ここは他のビーチが経営する駐車場なので、ここのビーチには入れません。下で受付をするか、帰るかどちらかにしてください。」と言われました。その剣幕が不気味だったのでその日は帰りました。しかし、どうも納得がいかずに次の日に上の駐車場に止めて(女性2名が道路から何か怒鳴っていた)ビーチに出たところ、下の駐車場の監視台から写真を撮られ「下で正式に受付をしてからビーチに出るように」としつこくアナウンスされました。下の駐車場の女性に、何でそんなに不愉快なことをするのかと話を聞いたところ、?こちらは駐車場の利用代金だけでなく、シャワーの使用料、ビーチの清掃、監視をしているので、ビーチ管理料として1台当たりではなく1人当たり500円を徴収している、?公安委員会に営業の届出をしているのはウチだけである(女性スタッフが公安委員会への届出書のコピーを首からさげているが、なぜか期限切れ)、?上の駐車場は伊計ビーチで登録をしているので、そこに車を止めて大泊ビーチには入れない、旨のことを言われました。今の季節、海水浴をするわけでなく、ちょっと浜辺を歩くだけなのに、1人当たり500円払えと言われ、写真を撮られるのは納得いきません。この業者にうるま市がビーチの管理を委託しているのでしょうか?この業者に対する市の認識をご回答ください。



市からの回答
 本件について、沖縄県の「海浜を自由に使用するための条例」に基づき、港湾行政の関係する範囲において関係課の立場で回答いたします。
 はじめに、当該ビーチの海浜地は沖縄県条例「海浜を自由に使用するための条例」第2条の「海浜」であり公共財産であります。
 次に、海浜の利用についてですが、同条例第3条で何人も公共の福祉に反しない限り、自由に海浜に立ち入り、利用することができるとあります。
 当該ビーチの関係者が商標登録及び公安委員会へのビーチ開設届を主張し、入場料を徴収する権利はございません。また利用者が支払う義務もありません。
 本件と同様な事件が過去も発生しており、当時ビーチ関係者への指導及びビーチ周辺へ周知の看板なども設置してきましたが、今回同様な事件が発生したことは誠に遺憾に思うところであります。ついては、事実関係を調査し、今後同様なことが起こらないよう沖縄県へも報告をするとともにビーチ経営者を指導していきたいと考えております。

※参考

海浜を自由に使用するための条例(平成2年10月18日 条例第22号)抜粋

(定義)
第2条 この条例において「海浜」とは、砂浜、岩礁、沿岸林等が一体となって海岸環境を形成している地帯で、公共のように供すべき国又は地方公共団体の所有に属する土地の区域をいう。

(海浜利用自由の原則)
第3条 海浜は、万人がその恵みを享受しうる共有の財産であり、何人も公共の福祉に反しない限り、自由に海浜に立ち入り、これを利用することができる。

(県の責務)
第4条 県は、公衆が海浜に自由に立ち入り、海浜利用の恩恵を享受することができるよう総合的な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する。

(市町村の責務)
第5条 市町村は、県の施策に準じ、当該地域の自然的社会的条件に応じて、公衆が海浜へ自由に立ち入り、海浜利用の恩恵を享受することができよう必要な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する。

(事業者等の責務)
第6条 海浜及びその周辺地域において、事業を営む者及び土地を所有する者(以下「事業者等」という。)は公衆の海浜利用の自由を尊重し、公衆が海浜へ自由に立ち入ることができるよう配慮するとともに、県及び市町村が実施する海浜利用に関する施策に協力しなければならない。



 

 

警察の出動は日常茶飯事・・・。




審決分類 審判 全部無効 商3条1項3号 産地、販売地、品質、原材料など 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) Y43
管理番号 1187500 
審判番号 無効2007-890163 
総通号数 108 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2008-12-26 
種別 無効の審決 
審判請求日 2007-10-15 
確定日 2008-10-14 
事件の表示 上記当事者間の登録第4861855号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 登録第4861855号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。
理由 1 本件商標
本件登録第4861855号商標(以下、「本件商標」という。)は、「大泊ビーチ」の文字を標準文字としてなり、平成16年3月24日に登録出願、第43類「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」を指定役務として、平成17年5月13日に設定登録されたものである。

2 請求人の主張
請求人は、結論と同旨の審決を求め、その理由及び答弁に対する弁駁を要旨次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第14号証(枝番号を含む。)及び資料(1)ないし(3)を提出した。
(1)請求の理由
本件商標は、商標法第3条第1項第3号に該当し、同法第46第1項第1号により、無効にすべきものである。
本件商標は、商標法第3条第1項第3号及び同法第4条第1項第16号に該当するものとして、一度は商標登録を拒絶されたものであるが、意見書の提出により、商標登録が認められたものである。
ついては、当該意見書の「意見の内容」及び「提出物件(写真)」に対して、異議を申し立てる。
ア 「意見の内容」に対する異議
(ア)「大泊ビーチは、私が付けた名称です。」の記述
登録商標の「大泊ビーチ」の「大泊」は、ビーチが所在する地域の呼称である。当地域の登記上の地名は、「沖縄県うるま市字伊計小字西後」であるが、「大泊」はこの一帯の地域名として古くから行政、社会、文化等の各分野で広く知られた歴史的に使用された呼称である(甲第1号証ないし甲第3号証)。
「大泊ビーチ」の「ビーチ」は、浜辺を意味する。大泊の浜辺は、昔から存在し、自然に形成されたものであって、いわゆる人工ビーチではない。自然の浜辺は、その地名を付して、「・・・ビーチ」と呼称されるのは一般的なことであって、「大泊ビーチ」の名称も、商標権利者が名付けたとしている平成7年9月以前から使用されていたものである(甲第4号証ないし甲第6号証)。
(イ)「20年前は、この浜は、伊計島の塵捨場であった。」の記述
この一帯が伊計島の塵捨場であったことはなく、記述は事実に反する。
(ウ)「そこをブルトーザで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し、人が泳げるようにした。」の記述
この場所で、このような大規模な工事が施工された事実はない。海岸法等の法令上、地元住民や自治会が関知しないこのような海浜の大規模開発が一民間業者に許可されたとは認められない。
イ 「提出物件(写真)」に対する異議
意見書の「提出物件」として工事現場写真があるが、次の写真の撮影場所は、景色等から見て「大泊ビーチ」の所在場所ではない。
提出写真群1 説明文「ブルトーザで作業している」写真4枚
提出写真群2 説明文「ブルトーザで作業している」写真4枚
提出写真群3 説明文「缶かんがその他の塵と一緒に腐っている。掘り出しているところ」写真4枚
(2)弁駁 ア 本件商標は「大泊」の漢字と,浜辺や砂浜を意味する「ビーチ」の片仮名文字を結合させたもので、前半の「大泊」は、伊計島に存し,被請求人の住所である沖縄県うるま市与那城伊計1012番地付近の地名である。但し「大泊」は行政区画名ではない。この点につき、被請求人は「少なくとも大泊が伊計島の小字名として使用された事実は無い。」と述べているが、法第3条第1項第3号にいう「産地,販売地」が行政区画名に限られるものでないことは、今更述べるまでもないところであろう。
イ 本件においては「大泊」が地名であるか否かが最大の争点であるから、先ず地理的な位置関係の説明をしておく。「伊計島」は町村合併により「うるま市」となる前は与那城町の一つの字で、伊計島全体が一つの字であった。この島は、沖縄本島の中部,金武湾の東方に位置し、周囲7.49キロメートル,面積1.81平方キロメートル,最高標高49メートルの琉球石灰岩に覆われたほぼ平坦な美しい島である(資料(1))。昭和57年には、この島の南側にある宮城島との間に伊計大橋が架橋されたが、それ以前に、昭和47年には平安座島と沖縄本島が海中道路で結ばれ、更に,平安座島と宮城島との間が石油基地として埋め立てられていたので、この架橋により、昭和57年からは3島が連結され、沖縄本島から直接,車で訪れることができるようになった(資料(2)及び(3))。
ウ 「大泊」は、うるま市与那城伊計1012番地付近の地名である。本件商標は、この「大泊」に存する砂浜であるところから、呼ばれている「大泊ビーチ」を標準文字で表したもので、伊計島には、この他に「伊計ビーチ」と呼ばれている砂浜もある。
この地は、被請求人が生まれる前から「大泊」と称されていた。後出の甲第7号証によると、少なくとも80年前の昭和3年には、地名として「大泊」が存在していることが理解できる。尤も、この「大泊」は、沖縄方言では「おーどぅまり」「おーどぅまい」「うーどまり」「うーどまい」等と呼ばれており、海岸をいうときには「大泊の浜」「大泊浜」と呼んでいた。戦後は、米軍が進駐してきた関係から、県内各地の浜と同様「○○ビーチ」と呼ばれるようになった(資料(2))。
エ この地域が何時の頃から「大泊」と呼ばれるようになったかは明らかではない。しかし、伊計小中学校創立100周年記念誌(甲第7号証)に掲載されている伊計島遊覧歌の第7番には「緑の松に白浜べ/金武と向かう大泊り/波おだやかで海青く/かつお漁場の本場なり」と、金武湾を隔てて本島と対峙する大泊が詠まれているところから、遅くとも、これが作詞された昭和3年には、この地が「大泊」と言われていたものであることを知ることができる。
次に「大泊」の地名は、甲第8号証ないし甲第11号証にも表れている。甲第8号証は与那城村の遺跡に関する文献で、1986?7年(昭和61?2年)の2か年に亘る継続調査により与那城村教育委員会が作成したものである。その77ページには「伊計大泊遺跡」として、その所在地、種類、遺跡の時代等が写真とともに示されている。なお、そこには「将来においてビーチとしての整備が進められていく可能性があり、遺跡保存への配慮,調査が必要」と記されている。
甲第9号証は、昭和63年3月刊行の「与那城村伊計集落における村づくり」と題する文献で、伊計の景勝地の一つとして「大泊(オオドマイ)ビーチ」の写真が説明文とともに掲載されている。
甲第10号証は、昭和63年3月に刊行された「沖縄県歴史の道調査報告書V」で、与勝半島や周辺の離島は専ら海上交通によって結ばれていたため、この地域には数多くの港が存在するとして、その代表的な5つの島の港が挙げられている。伊計島については「大泊」が「ヒージバンタ港」とともに掲載されており、その場所を示す地図も示されている。
甲第11号証は、上記の各文献より遅れて平成4年の与那城村の村勢要覧であるが、そこには「自然ビーチ・レジャー」のタイトルで、「伊計大泊ビーチ」の写真が掲載されている。
このように、「大泊」の地名は、本件商標の出願日の遥か以前から,広く知られ用いられてきた地名であることが理解できる。
オ 被請求人は、拒絶理由に対し「大泊ビーチ」は,相当な費用と労力を費やして整備し、自らが名付けた名称であると主張している。即ち「伊計島のゴミ捨て場であったのを、この堆積したゴミを掘り出すために砂浜を4?5メートルほど掘り下げ、ダンプカーを何百台も使って運び出し、人が泳げるように造成した。」と主張している。しかし、仮に、その主張のように砂浜整備の大工事をしたとしても、そのことによって登録が認められるわけではなく、結局,審査官は、「大泊」の名は地名ではなく出願人が名付けたものであるとの主張を信用して登録を認めたのではないかと忖度される。仮に被請求人が相当な費用と労力を費やした大工事をしたとしても、そのことは、法第3条第1項第3号の問題とは全く関係がない。したがって、それが事実であるか否かは争うまでもなく放置しておこうと考えたのであるが、被請求人の主張は余りにも事実に反するものであり、答弁書でも触れているので反論しておく。
昔からこの島でこの浜を見てきた多くの島民は、その主張のような事実を否定している。甲第13号証によると、この場所の清掃は、付近の住民が行っていたところ、昭和54年頃からは、請求人が委嘱した当間タケという住民が担当して美しく保たれていたということである。また、被請求人自身も、自らが作成したホームページにおいて、大泊ビーチにつき「人工的に作られたビーチではなく・・・」と、全く手を加えていない砂浜であることを強調している。海水浴場として利用する以上、それなりの設備が必要なことは当然であるから、ある程度の作業がなされたであろうことは推測されるが、甲第3号証記載のように、住宅を建設する場合には厳しい条件が付されており、また、甲第12号証でも判るように、遺跡のある地域では、駐車場の表面の舗装程度でも許可が必要なのであるから、もし「堆積していた塵芥を何百台ものトラックで搬出した。」との主張が事実であるとすれば、文化財保護法に触れる極めて重大な違法な行為を大々的に行っていたものであって、その責任は重大であり,刑事罰の対象にもなる。
カ 法第3条第1項第3号の規定は、被請求人が最高裁判所が言い渡した判決を引用して主張しているように、「このような商標は商標の産地販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示としてなんぴともその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに、一般的に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべき」である。
本件事案は、正にこの判示の趣旨に従って登録されるべきものではなかったと考えるが、被請求人が敢えてこの判決を採り上げたのは、本件商標の場合には、次の2点により登録性ありと考えたからのようである。即ち、
イ) 本件商標は、昭和60年7月頃被請求人によって初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介叉は取次ぎ,飲食物の提供」として使用するために選択された標章であること。
ロ) それ以前は「大泊ビーチ」の標章は「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介叉は取次ぎ,飲食物の提供」として使用された事実がなかったことは勿論のこと「浜辺及び海水浴場の名称」としてさえも使用された事実は一度もなく、昭和63年当時でさえ「浜辺の名称」として地図に記載されたこともなかったこと。
前記判決は、所謂「ワイキキ」事件の上告審についてのものであるが、その第1審である東京高等裁判所の判決でも、法第3条第1項第3号にいう「産地,販売地というためには、必ずしもその土地が当該商品の産地・販売地として広く知られていることを要するものとは解されない。」と判示しており、更に、同裁判所は、「平和台饅頭」事件の第1審判決においても「平和台が饅頭の販売地として著名でないとしても、また、原告以外の者によってその名が饅頭について使用せられた事実が無いにしても、同様商品についてこれが他人によって使用せられる可能性は否定すべくもないところであり、・・自他商品識別力を欠くものと認めざるを得ない・・・。」と判示している(昭和52年(行ナ)第184号)。
先ず,本件商標は、被請求人が初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」として使用するために選択した標章であるというが、識別力の存否の判断に、商標を採択した時期ないしは順位は関係の無いことである。また、この標章が「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」として使用された事実がなかったことや「浜辺及び海水浴場の名称」としても使用された事実が一度もなかったというが、上記のように「大泊」の地名は元々存在するのであり、更に「平和台饅頭」判決でも述べているように、使用された事実の有無も、全く関係の無いことである。結局、上記判決を引用した趣旨、及びその判示されているところと、被請求人が挙げるイ)及びロ)に関する事実が、どのように関係していて登録性があるというのか、主張自体理解できない。上記最高裁判所の判決は、むしろ、本件商標が登録されるべきではないことを述べている。
キ 以上述べたように、本件商標の一部を構成する「大泊」は地名であり「ビーチ」は海辺を表すにすぎないから、本件商標は識別力を欠く商標というべきである。
付言すると、本件審判の請求の理由としては、法第4条第1項第16号違反の主張は記載されていない。したがって、審査の段階で示された16号関係の主張を追加することはできない。そこで、以下は、単に事情として述べる。
日本国内で「大泊ビーチ」と称する海水浴場が幾つかある。その中で代理人が個人的に知悉しているのは、三重県熊野市大泊町の「大泊海水浴場」のみであるが、その他に海浜として次のものが存する。
長崎県五島市平蔵町大泊・・・・西海国定公園
大分県臼杵市大迫大泊 ・・・・臼杵湾
愛知県知多郡南知多町 ・・・・知多湾
鹿児島県肝属郡南大隅町・・・・鹿児島湾口
富山県魚津市 ・・・富山湾

3 被請求人の主張
被請求人は、本件審判の請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とするとの審決を求めると答弁し、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第9号証を提出した。
本件商標が商標法第3条第1項第3号に該当するとの請求人の主張に対し、下記のとおり反論する。
(1)請求人の主張及び異議の要旨
請求人は、被請求人が審査において提出した意見書に対して異議を述べ、本件商標が商標法第3条第1項第3号の規定に違反して登録がなされたものであるから同法第46条第1項第1号により無効にすべきである旨を主張する。
請求人が述べる異議の要旨は、以下のとおりである。
ア 「意見の内容」に対する異議
「大泊ビーチは、私が付けた名称です。」の記述部分
(異議の要旨)
「大泊ビーチ」の「大泊」は、ビーチが所在する地域の呼称で・・・「大泊ビーチ」の名称も、商標権者が名付けたとしている平成7年9月以前から使用されていたものである。
イ 「意見の内容」に対する異議
「20年前は、この浜は、伊計島の塵捨場であった。」の記述部分
(異議の要旨)
塵捨場であった事実はない。
ウ 「意見の内容」に対する異議 
「そこをブルトーザで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し、人が泳げるようにした。」の記述部分
(異議の要旨)
このような大規模な工事が施工された事実はない。
エ 「提出物件(写真)」に対する異議
(異議の要旨)
写真の撮影場所は、景色等から見て「大泊ビーチ」の所在場所ではない。
(2)異議に対する反論
ア (1)のアについて
(ア)被請求人は、意見書の中で、以下のとおり述べている(乙第1号証)。
「大泊ビーチは、私が付けた名称です。・・・当初は、しおさいビ一チでスタートしましたが、平成7年9月に本格的にビーチの届出を沖縄県公安委員会に出す際に、大泊ビーチにしたものであります。」
(イ)被請求人は、平成6年4月1日「沖縄県水難事故の防止及び遊泳者等の安全の確保等に関する条例」が施行され、海水浴場を運営するに当たって「海水浴場開設届出書」の提出が必要となったことに伴い、平成7年9月6日、被請求人が代表取締役を務める有限会社上崎企畫(以下「上崎企畫」という。)を届出者として同届出書を沖縄県公安委員会に提出した(乙第2号証)。
(ウ)同届出書によれば、「海水浴場の名称」の欄に「大泊ビーチ」と記載されているが、被請求人が「大泊ビーチ」を「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の煤介又は取次ぎ、飲食物の提供」として最初に使用を開始したのは、同届出書を提出した平成7年9月6日より前の昭和60年7月頃である。
(エ)被請求人は、沖縄県うるま市与那城伊計1012番地の土地付近にある浜辺(以下「本件浜辺」という。)で、昭和60年7月頃から「大泊ビーチ」の標章を使用して海水浴場の運営を開始した。
(オ)被請求人は、日頃から本件浜辺を全国から利用客が訪れる海水浴場にしたいと考えていたところ、本件浜辺を「大きな港」に見立て、港を意味する「泊(沖縄地方の方言で「とぅまい」という。)」の漢字を当てた「大泊」を思い付き、「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として「大泊ビーチ」の標章を選択した。
(カ)本件浜辺は、当時の上崎企畫の従業員が、同番地の土地及び近隣土地の所有者である平善真と親戚関係にあったため、当該従業員が平善真から同番地の土地及び近隣土地の使用許可を得ることで、利用することができた。
(キ)そして、被請求人は、同番地の土地上に、海水浴場の利用客に飲食物を提供するいわゆる「パーラー」を建て、昭和60年7月2日電話を開通させ(乙第3号証)、同年8月9日上崎企畫の当時の役員であった上田秀子を申請者として給水工事の申請をし(乙第4号証)、同月頃給水工事が行われた。
(ク)しかし、被請求人は、海水浴場「大泊ビーチ」の運営の一切を従業員に任せていたところ、従業員が平善真と不仲になり、海水浴場「大泊ビーチ」の運営を従業員に任せることができなくなったため、被請求人自らが海水浴場「大泊ビーチ」を運営することとし、昭和63年5月29日平善真と同番地の土地を含めた近隣土地についての賃貸借契約を締結した(乙第5号証)。
(ケ)ところが、被請求人は、海水浴場「大泊ビーチ」を自ら運営しようとして本件浜辺の整備を行ったところ、砂浜の中に多量の塵が埋まっていることがわかった(乙第6号証)。
(コ)そこで被請求人は、従業員の知人に依頼して、本件浜辺から塵を掘り出し、本件浜辺を海水浴場として安全に利用できるように整備した(乙第6号証)。
(サ) そして、被請求人は、「海水浴場の名称」をそれまでの「大泊ビーチ」から「しおさいビーチ」に変更し、新たな海水浴場として運営を開始した。
(シ)ところが、それまで使用していた「大泊ビーチ」の名称が利用客の間で十分認知されており、「大泊ビーチ」としての問い合わせや予約が多かったため、被請求人は再度「大泊ビーチ」に変更して運営することとした。
(ス) それ以後は、現在に至るまで、被請求人は上崎企畫を営業主体として「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」に「大泊ビーチ」の標章を使用し続け、上崎企畫は、被請求人から本件商標の使用権を黙示的に与えられて「大泊ビーチ」の標章を使用している。
(セ)上述したとおり、「大泊ビーチ」の標章は、被請求人が初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用するために選択した標章であるから、被請求人が海水浴場「大泊ビーチ」の運営を開始した昭和60年7月頃よりも前に「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用された事実がなかったことは勿論のこと「浜辺又は海水浴場の名称」としても使用された事実は一度もなく、昭和63年当時でさえ「浜辺の名称」として地図に記載されたことはなかった(乙第7号証)。
(ソ)被請求人は、これまで、美しい自然のままの浜辺を守るために本件浜辺の環境整備に尽力し、多くの利用客に訪れてもらいたい一心で海水浴場「大泊ビーチ」を地道な努力で運営してきたのであり、現在の「大泊ビーチ」の知名度は、被請求人のこれまでの努力の積み重ねによって初めて獲得できたものである。
(タ)なお、請求人は、「・・・『大泊』はこの一帯の地域名として古くから行政、社会、文化等の各分野で広く知られた歴史的に使用された呼称である。」と述べているが、本件浜辺が存する伊計島において「大泊遺跡」があったことは認められるものの、少なくとも「大泊」が伊計島の「小字名」として使用されていた事実はない(乙第8号証)。
(チ)「大泊ビーチ」の標章は、被請求人が初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用するために選択した標章であり、被請求人が審査において提出した意見書中「大泊ビーチは、私が付けた名称です。」の記載部分に誤りは無いが、「・・・平成7年9月に本格的にビーチの届出を沖縄県公安委員会に出す際に、大泊ビーチにしたものであります。」の記載部分は、被請求人が、平成7年頃までは観光雑誌等への広告はしていなかったが同年の「海水浴場開設届出書」の提出をきっかけにタウンページや観光雑誌等へ広告を掲載して積極的に「大泊ビーチ」を宣伝し始めたことを「本格的に」と表現したものであり、実際には上記(エ)に記載のとおり「大泊ビーチ」の標章は昭和60年7月頃から使用しており、意見書の当該記載部分は誤りであるため訂正する。
イ (1)のイについて
(ア)被請求人は、意見書の中で、以下のとおり述べている(乙第1号証)。
「20年前は、この浜は、伊計島の塵捨場であった。」
(イ)昭和63年当時、本件浜辺の砂浜の中には多量の塵が埋まっていた(乙第6号証「写真」)。
(ウ)被請求人は、この多量の塵を掘り出すために砂浜を4?5mほど掘り下げて本件砂浜から塵を除き、海水浴場として安全に利用できるようにしたものであり、その状態を「塵捨場」と表現したものである。
(エ)なお、請求人である伊計自治会の会長吉岡強氏は、伊計島の出身者ではなく、伊計島には定年退職後に住居を移し、5年ほどしか伊計島に居住していないから、同氏が約20年前の本件浜辺の状況を知らないのは当然である。
ウ (1)のウについて
(ア)被請求人は、意見書の中で、以下のとおり述べている(乙第1号証)。
「そこを、ブルトーザーで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し、人が泳げるようにした。」
(イ)被請求人は、従業員の知人に依頼して、本件浜辺から塵を除去し、海水浴場として安全に利用できるように整備した(乙第6号証「写真」)。
(ウ)本件浜辺の整備を行った際に砂浜の中に多量の塵が埋まっていることが分かり、砂浜を掘り下げれば掘り下げるほど多くの塵が埋まっている状態であったため、この多量の塵を掘り出して処分するために、莫大な費用と多大な労力をかけたのであって、被請求人はこのことを「ブルトーザーで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し」と表現したものである。
(エ)なお、請求人である伊計自治会の会長吉岡強氏は、伊計島の出身者ではなく、伊計島には定年退職後に住居を移し、5年ほどしか伊計島に居住していないから、同氏が約20年前の本件浜辺の状況を知らないのは当然である。
エ (1)のエについて
(ア)被請求人は、審査において提出した意見書と共に、計16枚の写真を提出している(乙第6号証「写真」)。
(イ)写真は、いずれも被請求人が本件浜辺及びその近隣土地を撮影したものである。
(ウ)よって、写真が、いずれも本件浜辺及びその近隣土地を撮影した写真であることに間違いはない。
(エ)なお、請求人である伊計自治会の会長吉岡強氏は、伊計島の出身者ではなく、伊計島には定年退職後に住居を移し、5年ほどしか伊計島に居住していないから、同氏が約20年前の本件浜辺の景色等を知らないのは当然である。
(3)商標法第3条第1項第3号の規定について
ア 請求人は、本件商標が商標法第3条第1項第3号の規定に違反してなされた過誤登録である旨主張する。
そこで、同法第3条第1項第3号の立法趣旨をみるに、「商標法3条1項3号として掲げる商標が、登録の要件を欠くとされているのは、このような商標は、商品の産地、販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示として、何人もその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに一般に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべきである(最高裁昭和53年(行ツ)129号)。」とされている。
イ しかし、本願商標は、(2)ア(エ)記載のとおり、昭和60年7月項、被請求人によって初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用するために選択された標章であり、それ以前は「大泊ビーチ」の標章は「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」として使用された事実がなかったことは勿論のこと「浜辺及び海水浴場の名称」としてさえも使用された事実は一度もなく、昭和63年当時でさえ「浜辺の名称」として地図に記載されたことはなかった(乙第7号証)。
なお、今日現在「大泊ビーチ」は、沖縄県うるま市与那城伊計の伊計島内に存する浜辺以外には存在しない。
ちなみに、インターネット検索サイトにおいて「大泊ビーチ」のキーワードで検索した結果、約77,800件のヒット件数があったが(乙第9号証)、これらのほとんどが被請求人が名付け、上崎企畫が海水浴場として運営している沖縄県うるま市与那城伊計に存する本件浜辺に関するものである。
これらのことからすれば、「大泊ビーチ」の標章は、被請求人が「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」に使用したときに、自他商品識別力を発揮し、商標としての機能を十分に果たし得るものである。
ウ なお、特定の地域の浜辺を指称する語を商標とし、指定商品(役務)に「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」を含んだものが登録された事例として「瀬底ビーチ」(登録第5083085号)がある。前記の商標「瀬底ビーチ」は、審査において同法第3条第1項第3号及び同法第4条第1項第16号を理由として拒絶査定を受けたが、拒絶査定取消審判(不服2007-1158)で請求が認容され、登録になったものである。
これを本件商標についてみるに、「本願商標は、『大泊ビーチ』の文字を書してなるところ、該文字が沖縄県うるま市与那城伊計に存する浜辺を指称する語であるとしても、前記文字が直ちに本願の指定役務の提供の場所を表すものとして一般に認識されるものとは認め難いものである。また、本願商標にかかる指定役務である『宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供』を取り扱う業界において、『大泊ビーチ』の文字が、役務の提供の場所を表示するものとして普通に用いられている事実も見出すことができない。してみれば、本願商標は、その指定役務について使用しても、自他役務の識別標識として機能を果たし得るものであり、かつ、これをその指定役務中のいずれの役務に使用しても、役務の質、提供の場所について誤認を生じさせるおそれがあるということもできない。」ということができる。
したがって、本件商標が、商標法第3条第1項第3号は勿論のこと同法第4条第1項第16号に該当するという理由も成り立たない。

4 当審の判断
(1)商標法第3条第1項第3号について
商標法第3条第1項第3号として掲げる商標が、商標登録の要件を欠くとされているのは、このような商標は、商品の産地、販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示として、何人もその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに、一般的に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべきである(最高判昭和54年4月10日[昭和53年(行ツ)第129号]第3小法廷判決・判例時報927号233頁参照)。 
本件においても、「宿泊施設の提供」や「飲食物の提供」をする事業者が自己の業務に係る役務について提供場所等を表すために何人も自由に使用をすることを欲するであろう標章であって、自他役務識別力を欠くものについては、上記に照らして本条項の該当性が判断されるべきものと解される。
(2)本件商標について
ア 甲各号証によれば、以下の事実が認められる。
(ア)昭和58年6月30日付「沖縄県公報」(甲第1号証)には、漁場の区域ために「伊計島大泊平石上の標柱」が「基点1」として記されており、昭和53年の「定置漁業権漁場図」(甲第2号証)にも、同様に「基点1」として「伊計島大泊平石上の標柱」が記されるとともに、伊計島における同地点が地図上に図示されている。
また、平成5年6月16日付の沖縄県教育委員会の回答(甲第3号証)には、伊計島の西南部に埋蔵文化財「伊計大泊遺跡」があることや「大泊井」「大泊河」と呼ばれる遺跡がある旨の記載が認められる。
(イ)与那城町立伊計小中学校の創立100周年記念誌(甲第7号証)には、「伊計島遊覧歌 作詞玉城盛信 昭和3年」が掲載されており、その歌詞の「七」の中で「金武と向かう 大泊り」と歌われていることが認められる。
そして、資料(2)の沖縄全島図をみると、伊計島の対岸の沖縄本島側には、「金武湾」があることから、「大泊り」が同湾と向かい合う場所に位置していることがわかる。
(ウ)沖縄県中部農業改良普及所及び与那城村役場に係る「与那城村伊計集落における村づくり 昭和63年3月」(甲第9号証)には、「伊計の景勝地」として、「大泊(オオドマイ)ビーチ」の表記及びその現地写真が他の景勝地(「大泊河(オオドマイガー)」や「伊計ビーチ」など)とともに掲載されている。
(エ)沖縄県教育委員会に係る「1988年3月 沖縄県歴史の道調査報告書」(甲第10号証)には、代表的な港として、「伊計島」の「大泊」が挙げられている。
(オ)「与那城(よなぐすく) 平成4年 村勢要覧」(甲第11号証)には、「自然ビーチ・レジャー」として、「伊計大泊ビーチ(伊計島西側)」の表示とその浜辺の写真が「伊計ビーチ」などとともに掲載されている。
(カ)伊計島レジャーセンター株式会社に係る「伊計島観光開発基本計画」(甲第4号証)、同「平成2年度定時株主総会」資料(甲第5号証)及び同「平成3年度定時株主総会」資料(甲第6号証)においても、「大泊ビーチ」が開発対象地域を示す語として用いられていることが認められる。
イ 本件商標は、「大泊ビーチ」の文字を普通に用いられる書体(標準文字)をもって表してなるものである。そして、「ビーチ」の文字は、「浜辺。砂浜」を意味する外来語として広く親しまれ使用されている語である(広辞苑参照)ところ、この「ビーチ」の文字の前に地名等を冠して「○○ビーチ」(例えば、大磯ビーチ)と呼ばれ逗留や海水浴等に適するとされる浜辺が全国に多数存在する顕著な事実に照らせば、「大泊ビーチ」は、「大泊」と「ビーチ」とを結合した標章と容易に理解され、前記「大泊」の意味合いからして、「伊計島の大泊にある浜辺」を指す名称として把握されるとみるのが自然である。
ウ 前記アより、本件商標の出願時よりも以前から「大泊」及び「大泊ビーチ」の文字(語)が特定の地理的な名称として使用されていたことが認められ、本件商標の登録時にも同様であったと優に推認される。
エ 以上を総合してみれば、本件商標は、特定の地理的な名称である「大泊ビーチ(大泊にある浜辺)」を表したものと認識されるに止まり、これを本件商標の指定役務に使用しても、当該役務(「宿泊施設の提供」「宿泊施設の提供の媒介又は取次」「飲食物の提供」)の提供場所を表示するものとして認識されるというのが相当であるから、事業者が役務の提供場所の表示として使用を欲し、かつ、自他役務の識別標識としての機能を果たすことができないものというべきである。
したがって、本件商標は、商標法第3条第1項第3号に該当し、当該条項に違反して登録されたと判断されるものである。
(3)被請求人の主張等について
被請求人は、日頃から本件浜辺を全国から利用客が訪れる海水浴場にしたいと考えていたところ、本件浜辺を「大きな港」に見立て、港を意味する「泊(沖縄地方の方言で「とぅまい」という。)」の漢字を当てた「大泊」を思い付き、本件商標を採択したものであるという。
しかしながら、前記(2)のとおり、「大泊」が、「伊計大泊遺跡」「大泊河」の名称の一部であることや「伊計島遊覧歌」中の「大泊り」の用例等に照らせば、本件商標の出願日よりもはるか以前から使用されている沖縄県伊計島の地理的名称と認められる上、「大泊ビーチ」自体においても、当該浜辺を指称する名称としての使用例が認められるのに対して、本件商標採択の意図はさておき、「大泊ビーチ」が唯一被請求人の創造に係る標章であると認め得る客観的な証拠は見出せない。
さらに、被請求人は、昭和60年7月頃に使用を開始し、これまで、美しい自然のままの浜辺を守るために本件浜辺の環境整備に尽力し、多くの利用客に訪れてもらいたい一心で海水浴場「大泊ビーチ」を地道な努力で運営してきたのであり、現在の「大泊ビーチ」の知名度は、被請求人のこれまでの努力の積み重ねによって初めて獲得できたものである旨主張する。
しかし、全証拠によっても、本件商標が、その登録時までに、被請求人あるいは上崎企畫の使用によって自他役務の識別標識としての機能を具備するに至っていた(法第3条第2項参照のこと。)と認め得る的確な証左(宣伝広告や取引実績等を示す資料)は見出せないから、前記(2)のとおり、自他役務の識別標識としての機能を果たすことができないと判断すべきものである。
なお、登録要件を具備しているか否かについては、商標毎に個々具体的に判断されるべきものであるから、被請求人が挙げる商標「瀬底ビーチ」の登録例をもって直ちに、本件商標が自他役務の識別標識としての機能を果たし得ないとの前記判断が左右されるものではない。
(4)結語
以上のとおり、本件商標は商標法第3条第1項第3号に違反して登録されたものと認められるから、同法第46条第1項に基づき、その登録を無効とすべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
審理終結日 2008-08-18 
結審通知日 2008-08-21 
審決日 2008-09-02 
出願番号 商願2004-32620(T2004-32620) 
審決分類 T 1 11・ 13- Z (Y43) 
最終処分 成立 
前審関与審査官 小松 里美 
特許庁審判長 林 二郎
特許庁審判官 杉山 和江
小畑 恵一
登録日 2005-05-13 
登録番号 商標登録第4861855号(T4861855) 
商標の称呼 オードマリビーチ、オオハクビーチ、ダイハクビーチ 
代理人 新垣 盛克 
代理人 島袋 勝也 



 
元横浜市長中田宏(鄭宏)
愛人奈々スキャンダルの真実


 




沖縄翁長知事の変節と辺野古テント村の問題

「絶対に辺野古に新基地は作らせない」。安倍首相にそう啖呵を切った沖縄県の翁長知事は、かつて辺野古移設を推進する動きの中心にいた。市議から県議、市長、そして知事に登り詰めた翁長氏はなぜ変節したのか。総力取材で「沖縄のタブー」に迫る特集第3弾!

「辺野古だけで勝てるんだから、俺につけよ」
 沖縄県知事選を約半年後に控えた昨年四月、那覇市役所の市長室で翁長雄志(おながたけし)氏(64)は、ある市議会議員にそう声をかけた。当時は、翁長氏につくか、現職の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事につくか、水面下で激しい駆け引きが繰り広げられていた時期。声をかけられた市議は、「選挙のために辺野古を利用している」と感じたという。
「絶対に辺野古に新基地は作らせない」
 四月十七日に行われた安倍晋三首相との会談でそう述べて、いまや反基地運動のシンボルと化した翁長知事。だが、その足跡を詳しく調べていくと、露になるのは見事な変節ぶりだ。
 なぜ、保守政治家の翁長氏が変節したのか。今回はその経緯を詳らかにしたい。
 翁長氏が生まれたのは、一九五〇年。沖縄が米軍統治下に置かれて五年目のことだ。父親は、後に那覇市と合併した旧真和志市の市長だった翁長助静(じょせい)氏。
「翁長家は沖縄の保守政界を代表する名門です。助静氏は琉球政府の立法機関だった立法院の議員にもなり、翁長氏の兄の助裕(すけひろ)氏は沖縄県議から副知事まで昇りつめました。その裏で二人ともいくたびか落選を経験。助静氏は那覇市長選、助裕氏は知事選で苦杯をなめています」(ベテラン県議)
 革新が強い沖縄で保守政治家の子に生まれた翁長氏は、周囲に嫌がらせを受けることもあった。二〇〇三年に出版した著書『創造への挑戦 風格ある県都那覇市を目指して』で、父親が立法院議員選挙で落選した時のことをこう回想する。
〈(教室の)黒板に翁長助静、相手側候補の平良良松と書きまして、平良良松さんのところに二重丸をして、私の担任が万歳三唱をしているんですよ。(中略)保守の側に家族を持つ者としては、大変耐え切れないところがございました〉
 小学六年の時のことだ。翁長少年に大きなトラウマとなったのであろう。
 その後、県内一の名門・那覇高を卒業した翁長氏は東京の法政大学に入学。当時の沖縄は米軍統治下で、実家からドルで送金を受けた。菅義偉官房長官は、大学の先輩になる。卒業後は沖縄に戻り、建設会社勤務の後、三十四歳で那覇市議選挙で当選。四十一歳で兄の地盤を引き継ぎ、県議に転身する。
「この頃の翁長さんは、自衛隊の支援活動をする沖縄県防衛協会の青年部会長を務めるなど、自民党の中でも特に保守色が強い存在でした。九三年に糸満市で開かれた全国植樹祭に出席するため天皇皇后両陛下が訪沖された際には、訪問反対の運動が盛り上がる中、翁長氏は日の丸の旗を振って、万歳をして歓迎してみせたのです」(自民党県議)
 翁長氏が県議になる二年前の九〇年には、革新の大田昌秀氏が知事となっていた。大田氏は、県内全ての米軍基地返還を求める「基地返還アクションプログラム」を発表するなど、政府と激しく対立した。翁長氏は大田知事への追及で一躍名を馳せた。
「彼は他人の揚げ足を取るのがうまく、早口でまくしたてる。気が短い大田知事は顔を真っ赤にして怒るのですが、そんなのお構いなし。『そんなに言うのならあんたがやってみろ』と大田知事が言い出し、議場が大爆笑となったこともありました」(自民党元県議)
 当時、翁長氏は本会議で大田氏をこう追及している。

反基地の契機はオスプレイ

〈(大田知事が)保守、革新を超越した基地反対闘争の結集を訴えるのは県民向けの受けのいいポーズであり、マスターベーションにすぎないと同時に、県民の結束をみずから放棄していると言われても仕方がありません〉(九四年三月の県議会)
 九七年に自民党沖縄県連の幹事長となった翁長氏は、九八年の知事選で経済界から稲嶺恵一氏を担ぎ出し、「十五年の使用期限、軍民共用」との条件付きながら、名護市辺野古への移設容認を公約として当選させた立役者でもある。
 九九年の県議会本会議の議事録には、この公約を支持する次の発言がある。
〈(稲嶺)知事がキャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域に場所を候補地として選定いたしまして、昨年の知事の公約を実行型県政としてしっかりと踏まえて一つ一つ前に進んでいることを高く評価をするものであります〉
 この年の県議会で野党の反対を押し切り「普天間飛行場の早期県内移設に関する要請決議」を可決させた中心メンバーも翁長氏だ。
 議会で提案者を代表して提案理由を説明した翁長氏は、基地問題をめぐる大田前知事の姿勢を「オール・オア・ナッシングの姿勢」と批判し、政府との信頼関係を損なったと非難した。当時、自民党県議で、後に衆議院議員となる安次富(あしとみ)修氏はこう振り返る。
「決議案に対して共産党から三百くらい質問が出され、ジュゴンや珊瑚のことも言われましたが、朝までかかって可決した。同じ年に名護市議会が普天間の移設を容認する決議を可決した時も、幹事長として総指揮したのが翁長氏。彼は一貫して、辺野古移設を推進する動きの中にいたのです」
 〇〇年には那覇市長選挙で当選。かつて同じ選挙で敗れた父の雪辱を果たした。市長就任後は、那覇市役所庁舎での初めての日の丸掲揚や自衛官募集業務の受託など、長く続いた革新市政時代を覆す動きも見せたが、変わり身の早さを物語るエピソードもある。
「『市長専用の公用車を廃止し、自転車で通勤する』との公約を掲げて当選し、しばらくは自転車通勤をして新聞でも好意的に報じられた。ですが、ほとぼりが冷めると『自転車では夜の会合に行けない』と通勤にハイヤーを使うようになり、さらに『ハイヤーでは秘密の話ができない』と、公用車を復活させた。しれっと言うことを変える人なんです」(那覇市議)
 妻の樹子(みきこ)氏とのあいだに二男二女。長男は選挙で戦った仲井真氏が会長を務めた沖縄電力に勤務し、次男や長女も県内の企業に勤務。次女は関東地方の大学に通う。翁長氏の義理の兄にあたる島憲正氏はこう語る。
「彼は学生の頃はトランペットをやっていて、歌もすごくうまく、『嵐を呼ぶ男』など石原裕次郎ならなんでも歌います。野球が好きで巨人を一生懸命応援している。市長時代に建設した野球場に巨人のキャンプを誘致したぐらいですから」
 なお、四月五日に菅官房長官と会談した際に批判した「粛々」という言葉は、翁長氏もよく使う。県議会や那覇市議会の議事録を調べてみると、短い答弁の中で四回も「粛々」という言葉を使ったこともあった。一〇年二月の市議会本会議では、政治哲学を問われて、「市長としてできる限りのことを粛々と果たしていきたいと考えております」と答弁している。
 そんな翁長氏が反基地の動きを強めたのは、「オスプレイの頃から」(義兄の島氏)だという。
 米国が普天間に垂直離着陸機のオスプレイを配備すると表明したのは、一一年六月のこと。すると、県内のメディアを中心にオスプレイを「事故が多発する欠陥機」などとするキャンペーンが展開され、配備の撤回を求める動きが広がった。
「配備に反対するため、県内の各政党や団体が横断的に参加する県民大会を催すことになり、実行委員会の共同代表に翁長氏が就任。一二年九月に開かれた大会には数万人が集まり、翁長氏は一躍、反基地運動のリーダー格としてメディアに持ち上げられるようになった」(前出・自民党県議)
 この大会の翌月に米軍がオスプレイの配備に踏み切ると、一三年一月に翁長氏らは上京し、「オスプレイの配備撤回」と「米軍普天間基地の県内移設断念」を求める「建白書」を首相官邸で安倍首相に手渡した。
「かつての彼の立ち位置からすれば考えられないことでした。ですが、この運動を通して翁長氏は革新各党と太いパイプを持つようになり、昨年の知事選で見せた『オール沖縄』のひな形を作ったのです。鳩山由紀夫元首相の『最低でも県外』発言以来の県内世論の後押しや地元紙の特別扱いもあって自信を深めていったのでしょう」(同前)
 この時の上京で翁長氏を前のめりにさせる出来事があったと振り返るのは、知事選で翁長選対副本部長となった「かりゆしグループ」会長の平良朝敬(たいらちょうけい)氏だ。
「上京したメンバーでオスプレイ配備反対のデモ行進を銀座周辺でしたのですが、極右団体によるヘイトスピーチで『売国奴!』などと罵られたのです。翁長さんは『絶対に許せない。沖縄はいつまでもヤマトに対して黙っていていいのか』と憤っていたのです」
 一方、この時期の翁長氏について、県内移設を容認する中山義隆石垣市長はこう証言する。
「安倍首相に提出する建白書に県内全市町村長が署名するということになり、私も署名を求められた。ですが、当初はオスプレイ配備撤回だけだったはずの文面に、普天間の県内移設断念が加えられていた。私には到底、署名できるものではなかったので、その旨を伝えると、翁長氏は私の携帯に何度も電話して説得を試みた。それで、最終的に建白書に私も署名はするが、お互いの立場を確認する書面を取り交わそうということになったのです」
 石垣市役所に保管される確認書には、「県外への移設を理想とするものの、普天間基地の早期移設と周辺住民への危険性の除去を最優先と考えており、県内移設の選択肢を否定するものではない」とあり、中山市長と翁長氏らの署名と捺印がある。知事就任後に安倍首相に「絶対に作らせない」と明言してみせたこととの整合性は、ここにはない。
 翁長氏が反基地傾向を深めていく中で深刻になっていったのは、蜜月だった仲井真知事との確執だった。
「翁長氏は一〇年に仲井真氏が再選を果たした時の選対本部長を務め、一時は翁長氏が“仲井真後継”と見られていた。ところが、一三年に琉球大学教授だった高良(たから)倉吉氏が副知事に任命されると、『知事は高良さんを後継にするつもりだ』と噂され始め、仲井真氏と翁長氏の溝が深まっていったのです」(県庁幹部)
 仲井真氏が一三年末に名護市辺野古の埋め立ての承認へと踏み切ると、革新系各党は翁長氏に知事選出馬を要請。那覇市議会では、保守系の市議らの間でどちらにつくか水面下の駆け引きが激化した。冒頭のやり取りは、この時のものだ。
 実は、選挙前に翁長氏と仲井真氏の一本化を目指す動きが水面下であった。
「那覇市内の小料理屋で仲井真氏らと翁長氏らが密かに話し合いの場を持ったのです。仲井真氏側が『三期目を二年で辞め、その後は禅譲するから、今回選挙に出るのはやめてくれないか』と申し入れると、翁長氏は、『考えさせてほしい』と答えた。これは脈があるなと思ったのですが、革新側との選挙協力が順調に進んだためでしょう、二度目の協議の場を持とうと連絡しても、電話に出なくなったのです」(自民党関係者)
 選挙結果は、三十六万票対二十六万票で翁長氏が勝利。兄の助裕氏が果たせなかった夢をついに実現したのだ。地元メディアも辺野古移設に反対する県民の民意が示されたと喧伝した。
 だが、前出の安次富元衆議院議員はこう総括する。

「反対することが大事なんだ」

「オール沖縄という美名の下に革新共闘と保守の一部を取り込んで選挙態勢を構築したのは、つまるところ権力闘争の戦術です。オール沖縄の実態は、仲井真さんのことが嫌いな人たちが結集した、恨み辛みの選挙だった。そこに、辺野古移設問題を糊塗しただけとも言えるでしょう」
 翁長氏の移設反対の本気度を疑わせるエピソードはこと欠かない。一昨年八月に南城市内のホテルで開かれた県内の市長会でのことだ。
「市長たちの懇親会の席で翁長氏は、ワインを飲みながら、『辺野古はどうせ国がやるんだ。でも簡単には同意するな。反対することが大事なんだから』と発言したのです。出席した他の市長たちは一斉に『えっ』という顔をしました。『まるで、“ゆすりたかりの名人”みたい』とこぼす市長もいたほどです」(出席者)
 懇親会に出席した市長四人に確認したが、細かなニュアンスの違いはあるものの、いずれも翁長氏の同趣旨の発言を認めた。
 かつて翁長氏に県議会で激しく追及された大田昌秀氏は昨年、東京外大教授の山田文比古氏のインタビューにこう答えている。
〈私が県知事であったときに、基地反対に一番抵抗していたのが、今頃になってオール沖縄などと唱えている連中だ。そうした過去の経歴や主張を見ると、信用できない。いつ変わるか分からない連中だ。(中略)この連中がいんちきなことを始めているとしか私には思えない〉(『オール沖縄VS.ヤマト 政治指導者10人の証言』より)
 大田氏が翁長氏らのことを信用できない、と喝破している事実は見逃せない。
 翁長氏は知事就任後、ワシントンに駐在員事務所を設置するなど、米国に直接基地問題を訴えることも打ち出している。キャロライン・ケネディ米国大使との面談の申し入れは「会う目的が明確でない」と断られたが、五月末から訪米して米政府や議会関係者との会談を重ねる予定だという。
 元在沖縄米国総領事のケビン・メア氏はこう話す。
「米国政府にとっての交渉相手はあくまでも日本政府であり、沖縄県知事といえども交渉相手とはなり得ない。ハワイ州知事が米軍の基地の体制を決めたりしないのと同じです。沖縄は戦略上の要地であり、尖閣諸島に中国の公船が連日、押し掛けているように、中国の脅威は現実のものです。そんな中で基地が必要ないとの姿勢を取ることは無責任だと言えます。沖縄にとっても一定の基地は必要だということを理解すべきではないでしょうか」
 小誌は翁長知事にインタビュー取材を申し入れたが、残念ながら多忙を理由に断られてしまった。
 知事の座を手に入れるまで、翁長氏は変節を繰り返した。そのために基地問題が利用されていたとしたら、これこそが沖縄県民にとっての不幸である。

「週刊文春」2015年5月7日/14日 ゴールデンウィーク特大号





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仲井真沖縄県知事と建設会社女社長の”不適切な関係”

週刊文春  2012年6月21日号


(5億円架空工事で補助金を受け取った沖縄県、囁かれる知事と建設会社女社長の”不適切な関係”女社長は記者にワインをぶっかけた!現地徹底取材で知事の「爆弾」に迫る)ジャーナリスト・大清水友明

沖縄県の本土復帰から40年。5月15日に宜野湾市で催された記念式典は、さながら現在の沖縄と日本政府の関係を象徴するかのようだった。

 居並ぶ政府閣僚や衆参両院議長、最高裁長官らを前に、仲井真弘多知事(74)が、「日米地位協定の見直しや普天間飛行場の県外への移設を県民は強く要望している」と基地問題の解決を迫ると、野田佳彦首相は、那覇空港の拡張や国営の首里城の県への移管など、用意した”お土産”を読み上げて沖縄への配慮を強調してみせた。

 鳩山由紀夫元首相の「最低でも県外」発言以来続く県民の怒りに、民主党政権は自民党時代と同じバラマキしか打つ手を知らない。基地問題ばかりが語られる沖縄。国土の0・6%の面積の県内に全国の米軍専用基地の74%が集中し、基地の見返りである振興策に依存するあまり自立した経済を構築できない・・・・。

 5月15日の前後にはこうした記事が新聞紙面にあふれた。だが、チャンプルーのように虚実ないまぜの駆け引きが飛び交う沖縄を基地問題だけで語るのは、あまりに一面的だ。本土のメディアが取り上げることのないリアルな姿にこそ沖縄を知るカギがある-----。

<知事と女社長の密会現場へ>

 本土復帰40年の式典を2日後に控えた晩、那覇市の繁華街は南国特有の激しい夕立が上がったばかりだった。ものすごい湿気でシャツが肌に吸い付く。
記者は高級寿司店で会食する3人の男女が出てくるのをじっと待っていた。
 まず出てきたのは、かりゆしウェアを着た年配の男性。この人物こそ、政府がご機嫌取りに余念がない仲井真知事だ。待ち構えていた記者が声をかけようとするが、迎えの車にさっと乗り込んで去ってしまった。
 がっかりしながらも、さらに待つと、二人の女性が出てきた。知事の長女・ゆみなさんと、もう一人は那覇市の建設会社の社長を務める女性・U氏(52)だ。

U氏は、小誌が昨年報じたように、県の政財界では誰もが知る。仲井真知事の恋人である。(2011年11月17日号)「仲井真沖縄県知事21歳下建設会社女社長忍ぶ恋」で、知事の長女が「二人は遊びの関係ではないと思います」と証言)。
 U氏はハグをして長女を見送ると再び店に戻り、2時間後、自宅へ帰って行った。会食は、母の日だったこの日にあわせて知事の長女が ”事実上の義母”にあたるU氏のために開いたものだという。
「知事とU氏は本島南部の名門ゴルフクラブでよく一緒にプレーしていたが、昨年の週刊文春の記事以来、人目につくところで一緒になるのを避けるようになった」(知事の友人)
 この証言通り、この晩も二人はバラバラに帰宅した。身内だけの食事で知事も息抜きができたはずだが、「知事は傍目にも疲れがたまっているようです。”知事与党”が半数以下となった6月10日の県議会選挙について気を揉んでいたこともありますが、原因はやはり『識名トンネル』の件でしょう」(沖縄県庁幹部)
 那覇市内の名勝・識名園といえば、琉球王朝の文化を伝える貴重な庭園として知られる。この近くに10年10月に開通したのが識名トンネル。長さ559メートルで、2車線ずつ二つのトンネルが平行する、いわゆるメガネトンネルだ。

架空トンネル工事で捜査着手!

<ブツヨミを進める県警>

ここからは週刊文春をそのまま記載してます。
 問題が表面化したのは、昨年11月に会計検査院が公表した検査報告書がきっかけだった。この中で会計検査院は、県が発注した識名トンネルの工事で法令違反があったと指摘。
<虚偽の契約書を作成するなどして工事の実施を偽装し、不適正な経理処理を行って補助金の交付を受けていたもので、本件補助事業の実施は著しく適正を欠いている>と断定している。
 県が策定した虚偽の契約書は計6件。工事費用は合計で5億1408万円にも上がる。


「いずれも識名トンネルの関連工事となっていましたが、契約時にはすでに完了した工事ばかりだったのです。つまり契約書に記載された工事は架空のものだった。工事内容に比べて極端に短いことから会計検査院が不審に思い発覚したのです」(政府関係者)
 沖縄県の道路工事は、本土復帰以来続く優遇措置で国の補助率は95%と抜群に手厚い。識名トンネル工事にも国は補助金を出しており、県にだまされた形の国は激怒した。
「虚偽の契約書を5億円分も作成して補助金を受け取るなんて、まるで昭和時代の手法。こんなことが罷り通ると考えていたことが許せません」(同前)

 発覚後の対応のまずさも火に油を注いだ。国の補助金管理を所管する沖縄総合事務所の関係者はこう話す。
「県の与世田兼稔副知事は、国の出先機関である沖縄総合事務局に出向き、『単なる事務的ミスだ』と説明したのです。手加減してほしいというつもりかも知れないが、『わざわざ虚偽の契約書を作成しておいて何が事務的だ』というのがうちのスタンスです」
 怒りがおさまらない沖縄総合事務局は、3月1日付けで補助金金額に利息を加えた5億8000万円を県に命じている。

発覚後の対応のまずさも火に油を注いだ。国の補助金管理を所管する沖縄総合事務所の関係者はこう話す。
「県の与世田兼稔副知事は、国の出先機関である沖縄総合事務局に出向き、『単なる事務的ミスだ』と説明したのです。手加減してほしいというつもりかも知れないが、『わざわざ虚偽の契約書を作成しておいて何が事務的だ』というのがうちのスタンスです」
 怒りがおさまらない沖縄総合事務局は、3月1日付けで補助金金額に利息を加えた5億8000万円を県に命じている。

国の厳しい姿勢に県はいったん県議会の反対を押し切って全額を返還しておきながら、3月末になると、一転、国の命令に不服を申し立てる挙に出る。

国がこれを棄却すると、知事周辺は訴訟をおこしてでも争う構えをみせていたという。

この経緯を前出の県庁幹部はこう説明する。
「県庁内でも『こちらに落ち度があるのに、不服申し立てや訴訟は道理に合わない』と反対意見も出たようですが、知事は『黙って俺の言うことを聞け』と押し 切ろうとしたといいます。県議選を前に強気
の対応を取らざるを得なかったのでしょうが、知事周辺の慌てぶりは尋常ではなかった」

知事の心配どおり、沖縄総合事務局は、県議選直前の6月4日、告発状を県警那覇署に提出。実は3月から県警と告発に向けた事前協議を開始していたのだ。
県警関係者はこう明かす。
「県庁を揺るがすスキャンダルとなるのは必至だから、県警上層部は告発の受理を渋っていたそうです。ようやく重たい腰を上げてからは、捜査を担当する那覇署に知能犯を専門とする捜査員が集められ、ブツヨミと呼ばれる関連資料の読み込みを進めています」
国の出先機関たる沖縄総合事務局が告発に踏み切ったインパクトから、地元政財界は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。誰もが噂するのは、何故県がこんなことをしたのかということだ。
このトンネル工事の経緯を紐解いてみよう。入札は06年11月。大手ゼネコンの大成建設を中止とするJV(以下、大成JV)が23億3000万円で落札した。落札率はわずか47.2%。あまりの低価格での落札に業界関係者に驚きが広がった。
「〇六年は異常な年でした。前年の名古屋市地下鉄工事の談合事件でゼネコン各社が談合との決別宣言に追い込まれたため、全国で入札金額の叩き合いとなったのです。どこの社も無理をしていた」(大手建設業者)

会計検査院の指摘により不正が発覚した後、県では第三者委員会を立ち上げ、当時の県の担当者らに聞き取りを行っている。その報告書によると、トンネル工事は2006年12月の着工早々から順調とはいかなくなったという。

トンネル上側の地中を走る水道の送水管が掘削作業によって沈下する恐れが出てきたのだ。このための対策工事が必要となったばかりか、現場近くにあった沖縄戦の時-の防空壕に薬液を注入して補強する工事も必要となったという。

落札率47%では、こうした追加費用をとても賄えそうにない。大成JVは県に泣きを入れる形で協議を申し入れた。協議を重ねる中で県の担当者が示したのは、元の-設計を変更し、追加工事を本来の工事に組み入れるという案だった。

ところが、設計変更では追加工事分も落札率47%が適用される。これに大成JVが難色を示したために協議は難航。工事だけは続けられ、トンネルがほぼ完成した2008年12月には、超過分は5億円を上回るまでになっていた。

この費用の捻出のために、県が考え出したのが、虚偽の契約書を取り交わすという方法だった。繰り返すが、この段階ではすでに大半の工事は完了していたにもかかわ-らず、新たに発注する形にして大成JVと随意契約を締結。落札率は99%以上となった。

この不正な事務処理は誰の発案で行われ、誰が決裁したのか。第三者委員会の報告書は、大成JVとの協議を担当した県の出先に当たる「南部土木事務所」が主導した-と判断している。

だが、この報告書に県庁幹部らは一様に首を傾げる。

「たとえ南部土木事務所に処理する権限があったとしても、これだけの額の手続きを本庁に詳細な報告もなしに決裁するわけがない」

こうした見方を裏付ける材料がある。

記者が入手した県の内部文書「予算執行伺」の写しだ。問題の虚偽契約に県予算を執行する事を承認したもので、2008年12月8日付で決裁されている。

この文書には、担当する土木建築部の部長や財政を担当する総務部のナンバー2である統括監や財政課長ら県庁幹部10人以上の承認印が押されている。

先の第三者委員会の報告書は、「県の出先が用意した書類を精査することもなく決裁をした」とするが、そんなデタラメな手続きで県幹部が何人も押し印するものだろ-うか。むしろ組織ぐるみで虚偽契約を了承していたと疑うべきではないか。

しかも、この文書、問題が発覚した後の今年3月に県議会に提出された際には重大な改竄が行われていたのだ。県議会に提出されたものは、県幹部らの印が白く塗りつ-ぶされているのだ。

白く塗りつぶした理由を土木建築部は「個人情報の保護の為」とする。だが、詳報公開を担当する県の行政情報センターの担当者は、「個人情報の保護が目的の 場合は-、黒く塗りつぶすのが原則です」とい
う。白く塗りつぶしたのは、どの人間が、そして何人が、決裁印を押したのかわからなくするための工作だと疑わ れても仕方がな-い。

元幹部は「墓場までもっていく」

「今は何も話せない。私が何か話すと、大騒ぎになってしまうから」

沖縄本島南部にある土木建築部の元幹部の自宅を訪ねた時は、じっと上目遣いで記者の質問を聞いてから、そう話したきり口をつぐんでしまった。また、

「土木建築部だけの判断で決めたことではない」

そう言い切った別の元幹部もいたが、問い返すと、

「それ以上は言えない。墓場までもっていく」

と口を閉ざす。必死に何かを庇おうとするかのような印象を受けたが、それは一体、何なのか。


前出の沖縄総合事務局関係者がこう明かした。

「今回の刑事告発は『被疑者不詳』で行っていますが、ここがポイント。これだけ巨額の不正行為です。

書類上は県部長以下の印で決裁されていますが、実際にはもっと上の判断があったのではないか。その可能性もあり得るとみて、『被害者不詳』としたのです」

そうだとすると、誰の判断だった可能性があるのか。

別の県庁幹部はこう推測する。

「土木建築部はピリピリしていて、他部の職員とこの件について話をするのを避けていて、庁内では『もしや』と囁かれています。かねてからあの人たちは大成建設と-の関係が取り沙汰されていましたから」


県庁内で囁かれている”あの人たち”こそ、仲井真知事とU氏のことである。

「識名トンネルの工事を受注した当時の大成建設の社長と仲井真知事は、東京大学工学部の同窓。卒業年次も一年しか変わらず、親しそうだった」(県政界関係者)

そして地元業者らは、「知事以上に大成建設と親しいのがUだ」と口を揃える。クレーンなどの大型重機を扱うU氏の会社は大成建設の指定業者を名乗り、大成建設が-県内で工事をする際には頻繁に下請けや孫請けとして工事に参加する。

そもそもU氏とはどんな人物なのか。

「那覇市内の飲食店で働き、現在経営する建設会社の先代社長に見初められました。結婚後に先代が亡くなると、会社の経営を引き継いだのです」(県内建設業者)

だが、必ずしも順風満帆とはいかなかったようだ。

「二〇〇〇年に那覇市内のモノレール建設現場でクレーンが転倒する事故を起こした影響で売り上げが急落し、翌年に民事再生手続きに入っています。でも、そ こから-がU氏の真骨頂です。あの手この手で
大手ゼネコン各社や沖縄電力にがっちり食い込み、経営を立て直すのに成功しました。女性ながら相当なやり手と して沖縄の建設-業界では知らない人はいません」(県内建設業者)

小柄ながらもエネルギッシュ。大きな声で「ガハハ」と豪快に笑うという。

「県教育委員や審議会のメンバーに女性を入れる場合は、あらかじめU氏にお伺いを立てています」(別の県庁幹部)

「U氏は沖縄の女帝だよ」(地元政治家)

かつてU氏は那覇市内で「R」という小料理屋を経営していた。そこには建設業界の関係者が多く出入りしていたという。

「ゼネコンの支店長や営業所長クラスが頻繁に訪れ、なかでも大成建設は社長や沖縄担当の常務がよく来ていた。自然とU氏は大成建設と親しくなったようだ。

このお店に足繁く通っていたのが、沖縄電力の社長だった仲井真さん。お目当てはU氏で、いつも社長専用車で現れていた。U氏を通じて親しくなったのか、仲井真さ-んと大成建設の社長が話し込む様子が見られた」(別の県内建設業者)

7、8年前に「R]が那覇市内の別の場所に移ってからは、業界では知る人ぞ知る談合スポットとして知られていたという。

米国のオスプレイよりも恐い、沖縄のメスプレイだぜ!

ここからは6月22日発売の週刊文春から転載・・・「移転後は看板も出さずに営業していたため、以前からのゼネコン関係者しか来ない。ここでU氏は泡盛と ゴーヤチャンプルーを振る舞いながら、
『で、どうするのよ-!』と大声で談合を仕切っていたと聞きます。怖くてとても近づけない店でした」(同前)

こうした経緯があるからだろう。業界では、

「識名トンネルの追加工事で困り果てた大成建設がU氏を通じて知事に泣きついたのではないかという見方が広がっています」(ゼネコン関係者)

「あんたを殴りたい!」

当事者たちはこうした見方にどう答えるのか。知事との会合を終えて帰宅したU氏を直撃すると、「あんたを殴りたい!」と記者にいきなりワインをぶっかけてきた。-怒りが収まると、路上にかがみこんで滔々と喋り出した。

記者:識名トンネルの件で大成建設から相談は?

U氏:ないない。なんで相談するの?誰が言ったか言いなさいよ。(ワインボトルを地面に叩きつけながら)とことん飲んで話してもいい。何が知りたい?」

記者:大成建設の社長らと面識があるのか?

U氏:知ってますよ。沖縄に来るたびに私を呼びます。『食事に行こう』と言うけど、仕事は別です。下請けだから呼ばれれば行きますけどね。識名の件では、 大成か-ら補助金の件を相談されたこともな
いし、知事に相談を持ちかけたこともないです。識名トンネルは一切関係ありません!」


記者:経営していた小料理屋の客は知事やゼネコン関係者ばかりだったのでは。

U氏:でも、知事から仕事とか、そういうことは一切ない。仕事をお願いしたら、恋愛関係はダメになるでしょう。あの人は県民のために働いている仕事人間。素敵だ-と思います。知事からは『早く俺の事を見てくれよ』って、知事は結婚したいと思っているんだから」

U氏は知事との関係まで赤裸々に語った。

一方、県内の業者から「知事やU氏と特別に親しい」と名指しされた大成建設に問い合わせると、「当社の役員の交友につきましては公表しておりません」とのこと。-知事サイドに働きかけを行ったのではないかとの見方についても、「そのような事実はございません」と回答する。

知事にも問い合わせようと、沖縄県庁広報課に大成建設との関係について聞くと、「県政と直接関わりがない質問については、回答する必要がないと考える」との返事-だ。ならば、仲井真知事に直接聞くよりほかない。夕方、県庁を退庁するところを直撃した。


記者:虚偽契約書の作成に知事は関与していなかった?


仲井真知事:それは私に聞いても仕方がないでしょう。担当部に聞いてください」


記者:知事自身も大成建設と付き合いが深いようだが?


仲井真知事:そんなことはありません。


記者:大成建設の社長とは?


仲井真知事:知ってますよ。でも、そんなに付き合いないよ。


記者:U氏は大成建設と関係があるようだが?


仲井真知事:そんなこと僕に聞かないでよ。


淡々と記者の質問に答えていたが、U氏の名前を出した途端に、カッと目を見開いて記者を睨みつけた仲井真知事。公用車のドアをさっと閉めるなり走り去ってしまっ-た。


識名トンネル工事をめぐる県警の捜査には、首相官邸をはじめ政府関係者も強い関心を示しているという。


「沖縄県政は国政にダイレクトに反映しますから、もちろん強い関心を持って見ています。万が一、県政を揺るがすスキャンダルに発展すれば、普天間問題の行方にも-影響しかねません」(前出政府関係者)


国政への影響も孕みつつ進む県警の捜査。いったいどいこまで真実が明らかにされるのだろうか。